Dari Kの名前の由来は、このブログの読者の方なら
既にご存知かと思います。
今日はDari Petaniについて書いてみようと思います。
Dari は「~から」という意味ですので、
Dari Petaniとは「Petaniから」の意。
それではPetaniとは何か?それはインドネシア語で
「農家」を意味します。つまり「農家から、農家発」という
ことです。
どういうことかというと、文字通り、インドネシアの農家に
チョコレートを作ってもらうということなんです。
以前このブログで触れましたが、カカオを取り巻く世の中は
輸入国側の傾斜関税や輸出国側の輸出税などにより
なんだか透明で公正な取引ができにくい状態になっています。
ゴールは見えているのに、そこまでの道がまるでブラックボックス。
だったら、時間はかかるかもしれないけど、そこまで一歩一歩
道を自分で作るしかありません。
カカオ農家・生産者にチョコレートを作ってもらうということ。
これがチョコレートの製造過程を知れば知るほど、どんなに
難しい、いや無茶とも思える挑戦か分かっていただけると思います。
そんなに簡単にカカオからチョコレートができるなら、
みんなとっくにやっているはずですから。でも、この試みは
すごくシンプルですが、とんでもないほど意義深いのです。
カカオはフルーツです。
カカオの実を割ると、白い果実があります。
とはいえ果実というのは名ばかりで、実際に可食部は非常に少なく
カカオの種(豆)を白い実がとっても薄く覆っている、そんな
感じですので、果実を食べようとしても、それは「食べる」というより
むしろ「吸う」という方が適切かもしれません。
こんなフルーツですから、カカオはもっぱらカカオ豆として
しか見られません。これが意味するのは何でしょうか?
カカオ豆そのままで食べられることがないので、
現地の人は発酵の重要性や、より(チョコレートにした時に)
美味しいカカオ豆を作るということがイメージしにくいということです。
例えば日本のりんご農家やミカン農家は、自分で栽培・収穫した
りんごなりミカンを食べるでしょう。そしてもっと甘くするには
どうすればよいか、もっと果実を美味しくするためには、あるいは
大きな実にするためにはどうすればよいのか、肥料の量や
撒くタイミング、剪定の仕方など色々工夫するはずです。
カカオはそうはいかない。カカオ豆はあくまでチョコレートの原料で
あって、そのままで加工せずに食べることはないので、最終製品を
知らない・あるいは実際にチョコレートを口にしない農家の
人に「美味しいカカオ豆を作ってください」と要求するのって
無理がると思うんです。
だからこそ、農家(Petani)が自らチョコレートを作ることは
それが農家が単に「カカオ豆を売るのでなく、付加価値を付けて
所得を増加させる」という経済的なメリットだけでなく、「より美味しい
カカオ豆を作ってもらって、世の中のチョコレートの質を向上させる」
という点においても多大なる貢献をするはずです。
冒頭にも書いたとおり、しかしながら、これは
とんでもなく難しいことです。一朝一夕に到底出来ることでは
ありません。でも、難しいからこそ、挑戦のしがいがあるというものです。
Dari Kの試みには、簡単で誰でも出来ることは必要ありません。
だから、Dari KはDari Petaniプロジェクトの構想をずっと
思い描いてきました。そして、これまで数々のアイデアや仮説を
蓄積してきました。そして今、満を持して再度現地に赴き、
検証する過程に入って行きたいと思います。
どれだけ時間がかかるかは分かりません。
時間さえかければできるものでもないので、できるかどうかさえ
分かりません。でも、Dari Kならきっとできるはず。
自分を信じて、また新たなる一歩を踏み出したいと思います。
いつかDari Petaniがデビューする日を夢見ながら・・・。
Dari Petani
2011年10月10日