こうしてちゃんとしたブログを書くのはいつぶりだろう。
思い出せないくらい間があいてしまった。
ブログはシゴトではないけれど、自分の想いや考えを伝える手段であるから
ずっとやってきたし、そこに共感や感動、時には一歩踏み出す勇気を
読者に与えることができたら、なんて素晴らしいだろうと思って
楽しんで書いてきた。
ただ毎年のことではあるけれど、冬はチョコの製造と販売で忙しく、
いつもは睡眠時間を多少削れば書くことができたブログも
いつしか削るべき睡眠時間さえないほど忙しくなり、
「忙しい」の読んで字のごとく、心を亡くすほど忙殺されていた。
余裕がないといった場合、時間に余裕がなかったり、心に余裕がなかったり、
余裕がない対象は色々はあるが、いずれにせよ「余裕がない」ときは
必死で何かに取り組んでいて、その他に目が行かなくなっていることが多い。
カツカツで行動するのに、予定はぎっしりだから、ひとつうまくいかないと
それを挽回するための時間もなければ、次の予定も狂い、朝1番のミーティングが
長引けば、続くその日のミーティング5~6個全てに遅れたり
準備不足になったりする。
余裕がないことは本当によくない。でも、余裕を作るために
アポを入れないのは、私にはできない。
引き合いが多いというのはありがたいことだ。
シゴトが多いというのは、本来ものすごく恵まれていることだ。
仕事は選ばなきゃ、なんてかっこよく言ってみたいけど、
そして昔の自分なら仕事は選んでいたかもしれないけど、
今はそうはできないし、したくない。
なぜならシゴト=お金ではないからだ。
シゴト=Dari Kの取り組みを、夢を、今後のビジョンを
説明するチャンスだから。
僕は3年前から会社員ではなくなった。
だからシゴトとプライベートは独立して存在しなくなった。
すべては仕事であり、すべてはプライベートだ。
そうすると何が起こるか。
休みがなくなる、とかいう次元ではなく、
自分の人生のベクトルが毎日毎日進み始める。
なんと言えばよいのだろうか、例えば普通の会社員ならば
キャリア上の目標に対しては平日シゴトをする日に進んでいくし、
趣味やリラックスは休日にやる、という使い分けになる。
ベクトルは1つではないし、いろんなベクトルが、
毎週、毎月少しずつ伸びていく感じだ。
それが、シゴトとプライベートの境がなくなると、
毎日が大きなベクトルに向かい、走っていくことになる。
それを玉に例えるなら、その勢いは、日に日に増し
慣性の法則にならい止まろうとしても止まらない。
加速度的に進み、さらに進み、勢いは目を見張るほど増していく。
その過程はとても特殊で、勢いがついたその玉は
忙しさで忙殺されながらも、素晴らしい出会いに
満ち溢れるようになる。
勢いがつくと、その速さと同じくらいの速度で進む人でないと
ついてこれなくなる。だから「ノッてる人にはノッてる人がつく」。
類は友を呼ぶ、というのとはちょっと違うかもしれないが、
すごい成長をしている人とめぐり合うようになり
それが刺激でさらに回転が速くなる。
もはや誰も止められない。自分自身がそうだ。
ましてや周りからみたら、それは一目瞭然。
飛ぶ鳥を落とす勢い。
でもその勢いを帯びた玉は、どんどん早く転がるが
磨耗もする。それは目に見えずらい。
早く転がるがゆえに、摩擦熱も大きい。
毎日毎日擦り切れていく。でも自分自身が止められない。
手当てできない。玉は傷つき、でもそのまま走り続け
何か大きな壁にでも当たらない限り、その玉は
永遠に速度を増しながら転がっていくのだろうか。
玉が擦り消えていっているのは、自覚があった。
はじめに少し付いたキズは小さくても、転がるうちに
大きな溝になっていく。
自ら玉を止めるべきか迷った。
もう十分な速度はある。だから少しブレーキをかけるのも
悪くない。
でも、僕にはそれはできない。
できなかった。なぜなら、もうその玉はシゴトでもなく
プライベートでもなく、人生そのものだからだ。
玉の速度をあえて自分で落とすことの恐さが分かるだろうか。
ノッている時に自ら玉を止めるなんて、なかなかできたもんじゃない。
それが出来るのは、たとえばサッカーの中田ヒデだ。
ワールドカップで、まだまだ頑張れる年齢だったのに引退した。
試合終了後、ホイッスルがなってもピッチに仰向けで空を見上げ寝ていたヒデ。
次のワールドカップもあるのに、あんなに勢いがあったのに
彼はそこで自らの玉を止めた。
でも彼は、プレイヤーとしてのベクトルに向いていた玉を止めたのであって
人生のまた別の方向にベクトルを変えたのかもしれない。
株価が爆騰している時に、その株を売るのは難しい。
いや、売る人はいっぱいいる。それは明日その株価が反落するのが恐いからだ。
勢いがのった玉が逆方向に転がるのが恐いからだ。
恐いからストップさせることはできる。でも、それとこれとは違う。
僕は走り続けた。なぜなら、僕には目標があったからだ。
Dari Kを設立して3年で「チョコレート屋さん」のフェーズは終わる。
チョコレート屋さんはチョコレート屋さんとしてもちろん残すし
それは今後も核であり続ける。
でも、4年目からは、Dari Kは京都のチョコレート屋さん、カカオ豆から
手作りのチョコレート屋さん、それだけではダメなんだ。
4年目からは新たな展開をする、そう決めていた。
誰にも言わなかった。言えなかった。でも心で固く、かたくかたく決めていた。
だから玉を、キズがつきはじめた玉を止めることはしなかった。
キズが溝になり、それが玉の方向性と速度をぐらつかせる危険性も出てきたが、
あえて自らそれを止めることをしなかった。重心がしっかりしていれば、
自分がしっかりしていれば、必ず道は拓けると信じていた。
バレンタインが終わり、Dari Kの従業員は半分になった。
自ら辞めた人もいれば、辞めてもらった人もいる。
僕がどんな気持ちだったかなんて書くつもりはない。
各人たちにとっても、それは大きな決断だったと思うから。
でも今、2011年3月11日、東北大震災の日に登記したDari K株式会社は、
そして同年4月15日にオープンしたチョコレートショップDari Kは
3年を迎える。
多くの人が加わり、多くの人が巣立っていった。
でも変わらないものもある。
それは、自分の気持ちとカカオ豆だ。
今日、さきほど、旧ルマ・カカオ店の引越しを終えた。
ここ1週間、いや、3月1日から、社員が半分になってから、
残ったみんなで毎晩遅くまでシゴトした。
朝から晩まで接客や商談をして、夜8時から、チョコの製造をした。
ショコラティエとして入社したわけではないのに、
文句一つ言わず、カカオ豆を丁寧に洗い、焙煎している姿、
外で真っ暗の中で皮むきをしている姿、荷造りしている姿を見て、
自分が玉を止めなかったばっかりにツケを負わせてしまっているのを
経営者として不甲斐なく思うと同時に、彼らの姿勢に
胸が締め付けられた。
去った人も、僕が玉の速度を落とせば去らずに済んだのかもしれない。
自分は知らず知らずのうちに、このDari Kという玉の重心として
多くの人に影響を与えるようになっていることに、遅ればせながら気づいた。
スラウェシの農家も、Dari Kの社員も、自分の家族も、そして
チョコやカカオを楽しんでくれるお客さんも。
4年目を迎えるにあたり、目指すべきはただ一つ。
Be united ~一つになること~
スラウェシの農家も、Dari Kの社員も、自分の家族も、そして
チョコやカカオを楽しんでくれるお客さんも。
こんなブログ、訳分からないかもしれないし、公開するのもどうかと
思うけど、自分の想いや考えを書くのが目的だから、あえて残そうと思う。
Be united.
Dari K never stops.
3周年を迎えて
2014年4月11日