マイケル・サンデルの話ではないが
真の価値とは普遍ではない。
ビュッフェでお腹がはちきれんばかりに
食事をした人にとってのコップ1杯の水と、
炎天下の中30分間走り続けた人にとっての
1杯の水の価値は異なる。
当然、前者のケースにおいては、水は価値が
ないどころかむしろ不要で不愉快な気持ちに
させるほどであるのに対し、後者のケースにおいては
まさに字義通り喉から手が出るくらい欲する
とても価値のあるものになる。
同じモノであっても、その価値は人によって変わるし、
たとえ同じ人にとってでも場面によって変わる。
超満腹のときに1杯の牛丼を差し出されてもタダでもいらないが、
超空腹のときの1杯の牛丼は1000円出してでも食べたいかもしれない。
これらの例で分かるとおり、
「モノの真の価値は、普遍ではない」。
話は少し発展する。
スプーンが家にない人はいない。
スプーンはごく一般的で、当たり前で、誰でももっている。
でもそのスプーンが急になくなってたらどうだろう。
カレーを食べようとしたらスプーンが見つからない。
アイスを食べようとしたらスプーンが見つからない。
箸やフォークで食べるのも不可能ではない。
でも当たり前のスプーンが欲しい。
スプーンのありがたさは、それがなくなって初めて気づく。
スプーンの存在を知らない人がいたとする。
その人がカレーを食べる。アイスを食べる。
箸やフォークで食べる。なかなかうまくは
食べられない。でもスプーンという存在を知らないから、
それがあるととても楽に美味しくカレーやアイスを
食べられると知らない。
だから多少不便は感じてもそれでやり過ごすことができる。
少なくともスプーンがないことに対し、憤ったり悔やむことはない。
その存在を知らないのだから。
この例から分かること。
「知らぬが仏」
ではなく
「当たり前にあるべきものがなくなってはじめて、
その真の価値を知る」
家族や友人が大切なのは誰もが同意するだろう。
でもどれだけ大切か、どれだけ大きな存在なのかは
失って初めて分かるとよく聞く。
足を骨折してはじめて、普通に歩けることがいかに
素晴らしいことか分かるとか、虫歯になって
はじめて、普通に食べられることがいかに
恵まれていることかを理解させられる。
モノの真の価値は、それを失ったときにはじめて、
いやそれ以前に価値を認めていたとしても、
失ってはじめて、その価値がどれほどかを正確に知る
ことができる。
なんて皮肉な世界だろう。
失って初めてその大切さが、真の大切さが分かるなんて。
でも失ったら、もう取り戻せないものもある。
it's too late to regain something when you lose it and realize its real value.
そんなものの方が一般的だ。失くしたのがスプーンなら
変わりを買うことはできるが、スプーンは普通なくさない。
私はもう少しで大切なものを失くすところだった。
失くす寸前だった。失くしてから、きっと失くしてから、
その価値を知らしめられることになったであろう。
そして後悔する。どうして自分はああしなかったのか、こうしなかったのか。
あの時ああしていれば失くさずに済んだのに、あの時こうしておけば
失うことなどなかったのに。。。
どうして自分は気づけなかったのだろう。
どうして自分は・・・
いくら悔いても、きっとその時はもう遅い。
覆水盆に返らず。
It's no use crying over spilt milk.
私は運がよかった。
大切なものを、とっても大切なものを、失くさずに済んだ。
本当にギリギリのところで、失くさずに済んだ。
ギリギリまでいったからこそ、その真の価値を知ることができた。
幸いにも、それを失うことなく、その真の価値を知ることができたのだ。
こんなに強いことはない。
普通失わなければその価値は真に理解できなかったと思う。
でも失ったら、いくらそのあとで理解しても、もうどうしようも
できなかった。
本当に運がよかった。そうとしか言いようがない。
「運」というとラッキーで、と聞こえかねないが、
「運命」だった。そう、失くさない運命だったのかもしれない。
失くさないで、でもその真の価値を分かる運命。
運命的に、失いかけていたモノをギリギリのところで
引き止めることができた。しかもその真の価値まで
知ることができた。
K.Iさん、その「運」を私に、Dari Kにくれたことに心から感謝しています。
そしてT.Oさん、あなたの真の価値に気づいた今、
そしてここであなたを失わずに済んだことに対し、
私がこれからやりたいのは、そして唯一できることは
あなたを、そしてみんなを心底信じることです。
Dari Kはあのカフェからはじまった。
あのカフェの、あの地図が見えるあのテーブルで。
そしてあのカフェに行った直後に、終わるところだった。
でも神様はいたのですね。
神様は私にチャンスを与えてくれた。
神の使者のようなK.IとT.K、ありがとう。
T.Oそしてみんな、ありがとう。
Milk was not spilt.
I will carry it with much care now.
真の価値
2013年9月14日