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dari K to the World
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目に見えないもの

ソチ五輪が盛り上がっていますね。
私たちが見る演技の画(え)というのは、前回の五輪に出場した
選手であれば、その時から4年間の努力の集大成になります。
また初出場の人にとっては、それまで演技・競技を始めてからの
人生の集大成といっても過言ではないでしょう。
しかしオリンピックというのは、何年・何十年の積み重ねの
集大成と言われつつも、本番の演技や競技というのは、それはほんの
数分間のいわば発表会に過ぎず、それまでの選手人生の努力や苦悩を
全て映すことなんて到底不可能です。
その発表会の評価は、これまでの努力や苦労の和や積にはならず、
その一瞬の場の空気、緊張感、運、体調など多くの他の要因に左右されるので
当然ながら、一番頑張った人が金メダルをとるわけではなく、演技の瞬間に
一番うまく発表を出来た人が金メダルを取る、というものだと僕は
思います。
「過程(努力、苦悩、挫折、研鑽)の集積=結果」ではなく
「発表会の出来=結果」であり、発表会の出来は「過程+偶然の要素」
なので、結局は「結果=過程(自分でコントロールできるもの)
+偶然の要素(自分でコントロールできないもの)」だと思うのです。
演技・競技の結果は、それまでの練習で思い悩み、身体を痛めつけ、
それでも続けてきた過程の集大成といえば分かりやすいけれど、でも
それは正確には集大成プラスその他の要素としての「結果」であり、
この「結果」に対して、他者の評価が加えられることになるのです。
よりラディカルに言えば、この「結果」のみに対して、世間の評価が
加えられるのです。
オリンピックでは、どの選手も例外なく、一般人には計り知れない試練や
悩みを乗り越えてきたと思いますが、その過程の努力イコール「結果」とは
なりません。
ものすごく頑張って、死に物狂いで頑張って、でも競技(本番)で
運や体調により失敗すれば、それが「結果」となります。運や体調を
コントロールできなかった、それも「結果」の要素になるのです。
これが勝負の世界。それが世の中です。
2月も下旬で、今は入試のシーズンでもあります。
僕は毎年2月になると、もう大学入試を経験してから10年以上経つというのに
いまだに自分が受験した頃の気持ちを思い出します。
もともと頭が良かったわけでもないし、運動が出来たわけでもない。
親が大企業の社長や大学教授なわけでもないし(むしろ大卒でもない)、
超有名な進学校に通っていたわけでもないし(栃木の片田舎)。
だけど、だからこそ、僕は頑張りました。頑張れば、努力すれば、
それがそのまま「結果」になると思ったのです。
家庭環境に恵まれているからとか、高校が有名進学校だからとか
そんなんじゃなく、純粋に自分がどれだけできるか試したかった。
ベストを尽くすことを信条としてきました。
どんなに模擬試験で良い成績をとっても、入試においてそれは考慮されません。
本番の一発勝負です。たまたま直前で風邪をひいて、実力を出し切れず不合格に
なる人もいるし、絶対不可能だと思われていたけど、たまたま入試問題が
その人の得意な分野ばかりで合格する人もいる。入試という発表会での
「結果」が全ての世の中。
僕は大学入試の本番で、焦って自分の力をフルに出すことができませんでした。
そのときは悔しくて悔しくて声をあげて泣きました。
そんな「発表会の結果」にこの世の一発勝負の不条理さを感じながらも
でも、ベストを尽くしたことで逆に自分に自信がつき、自分自身が
納得することができました。
そして自分を応援してくれた家族や学校の先生、クラスの仲間を
大好きになりました。
ところで、スケートの真央ちゃんの2日目のフリーの演技が終わったあと、
彼女はインタビューで「(4年間頑張ってきたことが)できた」と言ったとき、
自己ベスト更新したことへの自分自身への納得、誇りの表情を見せた時に、
僕は何か自分が昔同じようなことを感じたことを思い出し、急に胸が
苦しくなりました。
メダルを獲得するという目標を達成できなかったことへの悔しさは
当然言葉では表せないと思います。でも、自分の努力、4年間の苦労を
知っているのは自分で、メダルという「発表会の結果」ではないけれど
自己ベストを更新したという自身の努力の「本当の結果」が出て、
心底良かったしおめでとうと思いました。
キム・ヨナ選手もパーフェクトな演技をしたけれど銀メダルに
終わったことに対して、彼女はジャッジに不服があるとは物申さず、
「自分の演技ができた」と納得していました。
メダルの色ではない、自身の努力の「結果」が得られたことに
満足していることにも強く共感しました。
メダルとか、入試とか、それは確かに「結果」ではあるけれど、その結果は
他者が判断するための「発表会」の結果です。
その過程にある努力、苦悩、挫折、再起、それをジャッジを含む傍観者は知り得ません。
いくら応援していたって、本人がどれだけ頑張ったか、どれだけ悩んだか、
どれだけ胃の痛い思いをして、どれだけ頭を使って、どれだけ身体を酷使したか、
そんなの周りの人はおろか、友達も、一緒に住んでいる家族だってきっと100%は分からない。
それは本人にしか分からないはずです。
そしてその本人がベストを尽くすことが出来たのなら、それこそがもっとも
望ましく、ありがたく、祝福すべき「結果」だと思います。
メダルをとれなくても、入賞しなくても、その人がその人自身の「結果」に
満足するなら、それでいいのです。
本当に大切なものは目に見えない、なんていうと、「星の王子さま」を
思い出しますが、「結果」がものを言う世の中で、目に見える発表会の結果を
重視するのもいいですが、目に見えない大切なものを大事に出来るのは
自分自身しかいないわけだし、それを大切にすることこそが「プロ」なのかな、
とふと思うのでした。