前回はフェアトレードの背景や目的について書きました。
簡単に要約すれば、市場に任せっ放しにしていると、
言い方を変えると、消費者である私たちが何もアクションを
起こさないと、例えばカカオの生産者が得る収入はあまりに
低くなりがちで、生活や環境を維持・向上させることが
できない状況に陥ることがあります。だから、この状況を
改善していくための手段としてフェアトレードというものがある、
ということでした。
このこと自体に私はネガティブなイメージを抱く要素は
ないと思います。それでは何が引っかかるか、というと
「フェアトレード」という言葉が独り歩きしている状況です。
そこで今回はフェアトレードが持つ幻想について、
少し詳しく書いてみたいと思います。
イギリス留学中にフェアトレードの理念の崇高さに
魅了された私は、コーヒーでもチョコレートでも
フェアトレードのものを選ぶようになりました。
商品のラベルにフェアトレードと記載されていたり、
マークがついているものを選んでいたわけです。
そしてDari K設立準備をしている時も、できれば
フェアトレードのカカオ豆を仕入れたいな~と思っていました。
そんな折、私はカカオがどうやって栽培されているか、
そしてカカオを収穫後どういう過程を経て輸出されている
カカオ豆になるのか自分の目で確かめるために
現地インドネシアのスラウェシ島を訪れたわけです。
そこで私は「フェアトレード」を再考することとなりました。
なぜか?こういう実態を知ったからです。
カカオ生産地のある地域に行ったときのことです。
その地域には、話を分かりやすくするためにAとBという
2つの村があったとしましょう。村は川を隔てて隣りあわせ。
村人はほぼ全員がカカオの栽培農家です。
はじめに訪れたA村では欧米のフェアトレード関連団体、
UTZ certifiedやRainforest allianceなどが入っていました。
次に訪れたB村には、欧米からのそのような団体は入って
いません。さて、このAとBという村、どうなっていたでしょうか?
A村ではフェアトレード関連団体が入っているため、村人は
カカオ豆を通常の市場価格より20%ほど高い値段で
(フェアトレード・プレミアムと呼ばれる市場価格の上乗せ)
売ることが出来ていました。
また時々開催されるセミナーなどにより、村人はカカオの木の
病気や害虫について、また肥料についての知識を伝授されていました。
他方B村では、同じカカオを育てているのに、フェアトレードの
関連団体が入っていないため、カカオの販売価格は
市場価格そのものです。またセミナーなども当然ありません。
この事例から言えることは何でしょうか?
それは「フェアトレード関連団体が入るか入らないかで
同じ作物を育てているのにA村とB村では所得の差が生じている」
という事実です。
換言すれば、「フェアトレードが地域レベルでは所得格差を生んでいる」
ということです。地球全体のマクロで見れば「公平」な方向に進んでいる
はずのフェアトレードも、村レベルのミクロで見るとフェアトレードが
逆に所得格差を生んでしまっている。なんと皮肉なことでしょう。
そしてこの事態をより複雑にしているのが、「所得格差が生じているのは
とりもなおさずA村でのフェアトレードの活動が機能しているから」
というフェアトレードの成果なんです。
フェアトレードを推進する過程で、アンフェアな状況を(一時的に
であれ)作っている現状。これが私が現場で見て感じた、
フェアトレードに諸手をあげて喜べない瞬間でした。
実はフェアトレードのトリッキーな面はこれだけでは
ありません。次回はもう一つのフェアトレードの幻想について
記したいと思います。
*誤解のないよう予めクリアにしておきますが
私はフェアトレードに対して賛成か反対かと言われれば
その理念と実効力に対しては賛成です。
問題は人々がその実情を深く理解することなく、
ただ理念に共鳴して「フェアトレード」=「絶対的に良いこと」
と思い、その弊害や非効率性を認識できない、あるいは
認識させない(?)ようなきらいがあることだと思っています。
マクロ対ミクロ
2011年5月22日