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dari K to the World
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フェアトレード・序論

前回のエントリー「レールから外れるとき」では
私がDari Kをオープンする動機の一つとして、
フェアトレードの幻想を打ち破りたかったとご紹介致しました。
今回はフェアトレードについて、少し書いてみたいと思います。
お店をオープンして、チョコレート・マニアな人や原料のカカオに
興味をもたれた方から「Dari Kのカカオはフェアトレードの
カカオなんですか?」とよくご質問を頂きます。
これ、答えるのがすごく難しいんです。
なぜなら、その質問をしておられる方が認識している
「フェアトレード」と、私が思う「フェアトレード」が違う
可能性が高いからです。
フェアトレードの定義も、広義なものから狭義なものまで幅広く
またこれはフェアトレードでこれは違う、といった客観的な
線引きも難しいことからなかなかくせ者~と思ってしまいます。
私の理解では、フェアトレードとはざっくり言ってしまえば、
今の世の中コーヒーやカカオ、コットンなどの生産者
(殆どがいわゆる途上国の生産者です)は生産物に対して
適切な対価を得ていないことが往々にしてあります。
いくら頑張って働いても所得が上がらない、それどころか
働いているのに貧困から抜け出せない、という状況に
陥ることもしばしば。これはフェア(公平)じゃないから
生産者や環境に配慮した貿易をしましょうよ。
具体的には、生産物に対して適切な対価を払ったり、
彼らが環境に配慮した生産活動をできるように教育したり、などなど。
うーん、突っ込みどころ満載ですね。
経済学ではモノの価格は需要と供給で決まるのが原則と習いました。
そしたら例えばカカオが1kg 300円という市場価格は、
適切な値段ではないのか?
フェアトレードの考えで行くと、カカオ農家の人にとっては
「1kg 400円でないと暮らしていくことも子供を学校に行かせる
こともできないよ。だから適切な価格(最低価格)は400円だよ」
というかもしれません。
でもカカオ農家の人に価格決定権はありません。
本来ならば両者とも買う自由、売る自由があるので
対等な立場のはず。普通は、買い手と売り手がいたら、
お互いが価格に折り合いがついたときに取引が行われます。
しかし、例えばカカオ農家の場合は、「400円でしか売らないよ!」
と声高に叫んだところで、買い手(普通はコモディティ・メジャー
と呼ばれる欧米の穀物取引業者です)は、「だったら
あんたのカカオは買わないよ」となってしまいます。
この理由はいろいろあります。例えば、カカオは生産農家にとって
換金作物であるとか(要は自家消費のためでなく、お金のために
栽培している。だからそんな安い金額じゃカカオ豆売らないよ、
と売り渋っても結局収入がなくなってしまうだけ)、そもそも
零細な一カカオ農家が売り渋ったところで、何千トン、何万トンと
一気に仕入れるコモディティ・メジャーには痛くもかゆくもない、
ということだったり。
理由はともあれ、現実をみると穀物の場合は圧倒的に買い手市場、
つまり買い手である穀物メジャーの立場が断然上で、
生産者に交渉力はないといっても過言ではありません。
これが意味するところは何でしょうか?
1kg 300円でしか買い取ってもらえないなら、
量を売らなきゃやっていけない。でも農地も人手も無限に
あるわけではない。農地はすぐに増やせないけど、
労働力だったら、ということで極端な例は、カカオ生産世界第一位の
コートジボワールなどはアフリカの近隣諸国から子供を奴隷として
買ってきて農園で働かせるのです。
この「カカオ農園での児童労働」は海外ではよく知られた事実で
これをなくすためにフェアトレードという概念が広まったという
経緯もあります。ちなみにカカオ生産世界第三位のインドネシアでは、
私の知る限り児童労働はありません。
話を戻して、このフェアトレード、すごい良い取り組みだと
思いませんか?放っておくと、資本主義の市場メカニズムゆえに
不当な安値でしか販売できない生産者がいる現状を、
フェアトレード、つまり「公平な貿易」にすることで、
生産者にとっても消費者・購買者にとってもサステナブル
(持続可能)な関係にしましょう、という大きな転換です。
私がフェアトレードを本格的に知ったのは、イギリスに
留学しているときでした。どこのスーパーでも
フェアトレード製品があふれ、値段は若干高いけど、美味しいし
それを買うのがファッション(流行)でもありました。
私はフェアトレード、良いと思ってます。
にもかかわらず、一方では「フェアトレードの幻想を打ち破りたい」
とも思っています。
いったいこれはどういうことか、次回のエントリーで
少し詳しく書きたいと思います。