今日は5月30日。明日で5月が終わる。
4月30日のルマカカオ店オープンからちょうど1ヶ月が 過ぎたことになる。
この1ヶ月は本当に長かった。
新幹線では時間にロスが出るので日帰り夜行バスで東京へ往復した。
高校生、大学生、そしてビジネスマン向けの講演もした。
純米カカオ酒「神香」の蔵元のひとつである竹野酒造主催の 祭りに参加するために、京丹後にも行った。
商店街の総会もあり、知恵ビジネスプランコンテストで受賞した 企業間の交流や、若手経営者の食事会、助成金の申請もした。
さらに雑誌や新聞の取材も6~7本(これから出るのが楽しみ!)、 初のDari Kセミナーも開催した。
これ以外に毎日平均2~3件の ミーティングをこなしたり、京都伊勢丹出店もあったので とにかくとんでもない1ヶ月だった。
ここで振り返って1番衝撃だったことと聞かれれば、 就労継続支援施設を訪問したことだ。
就労継続支援施設にはA型とB型がある。 授産施設というものもある。
授産施設には、障害ごとに身体、知的、精神と分かれており 入所か通所かの別もあり、さらに福祉工場や小規模授産施設と いうものもある。
(2006年の障害者自立支援法により、授産施設から 就労継続支援施設に移行しているため現在は授産施設は なくなって、ほとんどがB型に移行しているはずだ。)
縁あって、2つの就労継続支援施設を訪問した。
ひとつはA型、もうひとつはB型の施設だ。
簡単にイメージするには、A型は障害レベルが低く、 B型は障害レベルが低い人から高い人まで様々。
とても難しいのは、障害といっても障害の種類(身体・知的・精神) によって大きな違いがあるし、ある障害の種類によっては 軽度でも難しい作業が、別の障害では重度でも 十分こなせる作業もあると思う。
(たとえば手にしびれが若干ある程度の人は 手先を使う細かな作業はできないかもしれないが 一方でコミュニケーションは難しい人でも 手先が器用で同じ作業をすごい集中力でやる方もいる)
なので、この人はA型施設でいける、この人はB型の施設だ、 という線引きがあるわけではないし、A型施設は施設数が少ないが ゆえに、定員いっぱいでB型にしか入れない人も沢山いる。
そもそも施設を訪問しようとしたきっかけは、 「手作りチョコレートキット」が完成したので↓ (ちなみに写っているのはDari Kのビジネス・マネージャー 小畑(コハタ)。
95%の確率でオバタさんと間違えられるので 本人も周りもオバタでもスルーするようになった)
これからカカオマニアはもちろん、小学校などでも このキットを使用してチョコレート・カカオ教室を やりたいな、と思っていた。
一方で、ボランティアで福祉施設や小児病院などで 長期間入院している子どもたちに、チョコ作りの面白さと カカオの奥深さを体験して知ってもらおうとも思っていた。
そこでそのようなことを周りに話していると、チラホラ 情報をいただき、まずは百聞は一見にしかずということで 訪問させていただいたのだ。
恥ずかしながらA型・B型なんて全く知識もなく、また 障害があるといっても、どのような障害でどれくらいの度合いなのか なんて全く分からずに訪問したところ、とにかく驚いた。
両方の施設を訪問して、ともにとても明るく清潔で、日本の 暗い会社のオフィスなんかより100倍活気に満ちている。
また就労者の顔も実にイキイキしていて、みんな大きな声で 挨拶をしてくれる。
A型の施設に至っては、就労者は障害があることさえ分からない人ばかりで 監督者との違いも言われなければ分からないほどだ。
B型の施設は規模がやや大きいところだったが、いくつかの仕事を グループごとにやっていてみんなとても真剣で器用にこなしていた。
これらの驚きは、しかし、私の先入観を前提としたものだったのかも しれない。
つまり、障害者の就労施設なので、オープンな雰囲気ではなく 少しひっそりとやっていて、自分が行ってもじっと見られるのかな、 そんなイメージがあったことを否定できない。
訪問したB型の施設では、キットを用いてチョコレートを一緒に作った。
朝10:30にはじめて、豆洗いにはじまり、すり鉢での重労働を経て、 結局チョコが完成したのは(型に入れ終わったのは)16:00だった。
60人の就労者のうち、選抜された7人の方と一緒にやったのだが みんな目がキラキラ輝いて、一生懸命皮をむき、一生懸命 すりこ木で擦って、冗談を言い合う。
とにかく、言葉にならないくらい 素晴らしい時間だった。
そして、僕の胸には彼らが喜んでいた以上にこみ上げるものがあった。
実は、その日は連日の仕事で体調が思わしくなく、朝電車の中で 気分が悪くなって途中下車して休んでから行った。
しかし帰りの電車では、自分自身が朝の人間からは 大きく変わっていることに気づいていた。
施設長と色々話をさせていただいた。
知らないことの連続だった。私はいつも課題を知って、 それに対して解決策を考えるのが元来好きだ。
だから何が課題かを知りたかったが、私の無知と 施設ごとによる仕事の違い、そして日本の国・自治体の指針の 複雑さがあいまって、詳細まで分からなかった。
いや、分からなかったのは明らかに私がそもそも質問を するだけの障害者や福祉制度についての知識が欠如していたからだ。
仕事のことで頭も身体もフルキャパに近く、いつもは 一刻も早く床につきたいところだが、私はどうしても このことをもっと掘り下げて知りたくなった。
知らなければならないような気もしていた。
よく国際協力や貧困撲滅キャンペーンなどに参加する人は 途上国に実際に行って現場を目の当たりにしたら、いてもたっても いられず、自分に出来ることはないかと思ったのがきっかけだと 言うが、まさにそんな感じだったのかもしれない。
朝日が昇るまで、私はパソコンとにらめっこしながら 調べつづけた。大学院生のときを思い出すくらい、 ひたすらネットで調べた。 そうすると、驚くべきデータを目にした。 (続く)