新作 │ 発酵にこだわるチョコレートトリュフ

dari K to the World
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原石をダイヤにする方法(2)

*前回の原石をダイヤにする方法(1)の続きになります。

「過去や現在を基準に考えない」

 これを聞いて「そうそう」とすぐに理解し共感する人は少ないのではないかと思う。むしろ、「それってどういうこと?」となるのが普通の反応かもしれない。

これはあくまで吉野の個人的な考えであり、世界的に誰かが主張している説を解説しているわけではないので、「こう考えることですべてがうまくいく」とか、「これが成功への秘訣だ」とか言うつもりはないのだが、「過去や現在を基準に物事を考える」ことで多くのチャンスが失われているように感じてならない。

 私たちは何かを考えたり、物事を判断する時に「今」を基準に考える癖があると思う。厳密にいうと、「今の常識」に基づいてものごとを考えようとする。今の常識は、過去の積み重ねにより醸成されたものだから、別の言い方をすると、過去から現在の事象をベースに考えようとするとも言える。

しかし、振り返ってみてほしい。現在の常識は過去の常識の延長にあるだろうか?

 例えとして、海外旅行に行くときを考えてみよう。20年前、私が学生だった頃、私はバックパック1つ背負って世界各地を回ることに夢中だった。その頃の私は、かなりの頻度で旅行代理店に足を運んでいた。なぜなら飛行機のチケットの値段を知るには、旅行代理店に行かなければならなかったからだ。

 今ではどうだろう。パソコンを起動させるまでもなく、スマホで出発日と出発空港、目的地を入れればすべての航空会社のチケットの価格から乗り換え時間、遅延率まで出てしまう。

 20年前の常識、つまり「旅行代理店に行かなければ航空券の値段が分からない」というのは、完全に今の常識ではない。当時、その常識が崩れるなんて微塵も思わなかった。

 同じく20年前、旅行先で私がしていたことといえば、壮大な景色を見たり、歴史的名所に行った時に写真を撮ることだった。そのために当時はカメラのフィルムを持ち歩いていた。

撮り直しは効かないし、現像するまで写真に写った自分が目をつぶっていたかどうかも分からなかった。空港のX線でフィルムがダメージを受け、現像した写真が妙に明るかったり線が入っていたということも珍しくなかった。

あれから20年。今はカメラとフィルムを持ち歩いて旅行する人がどれだけいるだろうか?20年前の常識は、今の常識ではない。そればかりか、10年前はまだまだデジカメが主流だった。今やデジカメさえ持ち歩かずスマホで撮影するのが常識となっている。何度も撮り直せるし、動画だってとれる。撮った写真をすぐにSNSにアップロードしたりメールで送ったりもできる。

過去の延長上に今はない。

20年前は一つの場所から別の場所へ列車で移動するとき、前日に駅に行って時刻表を見て切符を買う必要があった。宿はガイドブックで目星はつけても、空いているかどうかは当日そこに行ってみなければ分からなかった。どこに地元民が集う美味しい食堂があるかなんて、宿の主人に聞くか、旅人が記す安宿の情報ノートを見るまで分からなかった

 今や列車の時刻表がスマホで確認出来るどころか、ネットで切符を予約してクレジットカードで決済もできる。その決済画面のQRコードを見せれば車掌が情報を端末で読み込むので、予約した切符を印刷する必要さえない。宿はホテル比較サイトを使えば最安値で予約できるし、食堂やレストラン情報もスマホで事前に確認できる。

スマホ

 「便利になった」「時代は変わった」

 確かにそうだと思う。しかしそれは感想に過ぎない。過去を基準に考えたら、どれも起きなかった技術革新であり、そしてその技術革新により、新たなビジネスが生まれる。

つまり、Air B&Bの民泊が広がったのも、UberやLyftあるいはGrabなどのライドシェアが広がったのも、すべてスマホを日常的に利用するということが起点とはなっているものの、 当時(スマホがない時)を基準に考えたら、これらは生まれなかっただろう。

 以前は携帯電話という単一機能の機械だったものが、スマホになることで「旅行のチケットの価格もその場で分かる」し、「写真も撮れる」し、「宿の予約もできる」し、なんなら「ホテルより安い民泊もできる」し、「タクシーより安いライドシェアも利用できる」こととなった。

 過去の常識にとらわれていたら、原石はダイヤにはならなかった。

ダイヤは人が価値があると考えるから価値がある。チンパンジーにとって、原石もダイヤも石ころに違いない。

 次回は原石がダイヤになるための条件について考えてみたい。

 

続きはこちら→原石をダイヤにする方法(3)