さて、そろそろ伝えたかったことを書いていこうと思う。
値段の話をする上で、本質は何かと問われれば、それは
A:「値段は客観的な解釈をされる」
B:「その解釈にはモノやサービスそのものの物質的価値だけでなく、それがもたらす効用も含められる」
C: 最終的には「慣れがモノを言う」
と思っている。
どういうことかを1つずつ見ていきたい。
前回の話を例にとると、「コーヒー1杯800円」と聞いたら、多くの人は「高い!」と思うだろう。でも、時給900円で働いている学生が受ける「コーヒー1杯800円」の印象と、年収1億円の大企業の経営者が受ける印象は違うはずだ。前者にとっては「うわー高っ!!何そのコーヒー!?」の大衝撃だろうし、後者にとっては「おぉ、結構いい値段だね」とサラッと流す程度かもしれない。
これは収入(あるいは可処分所得)の差により値段の印象に違いが出る例えだったけれど、たとえばコーヒーをこよなく愛する人にとって「コーヒー1杯800円」は、「おっ、どんな豆使ってるコーヒーなんだろう!?」と目を輝かせるだろうし、コーヒーを飲めない人にとっては「うわぁ、すごい値段するね、信じられない><;」となる可能性もある。この場合は、収入に関係なく、人それぞれあるモノにどれだけこだわりをもっているかで、値段に対する感じ方も異なる例だ。
まとめると、値段そのものは絶対的な数字で表されているけれど、それがどう人に認識されるかは、その人それぞれで変わるということ。当たり前といえばそれまでだけど、私はダリケーを2011年に起業して、初めて自分が値段を決める立場になり、値段を決めること(プライシング)に関していつも頭を悩まされてきたし、正直言うと今も悩んでいる。なぜなら、自分が決める値段はあくまで表面的な(絶対的な)数字であり、それをお客さんや取引先がどう捉えられるかは上記の理由により未知数だからだ。
今から20年前、僕が高校を出て大学生になった頃、板チョコは100円、缶コーヒーも100円だった。今は板チョコは130円、缶コーヒーは130円くらいに上がっている。一方で携帯電話の通話料はどうだろうか。20年前、ちょうど私が高校を卒業して大学に入学したころ、つまりスマホは存在せずガラケーの中でも2つ折りタイプが出たばかりのころ、通話料は1分あたり60円くらいだった。それが今はLINEやWhatsappを使えば(データ使用料は別にして)無料で通話ができる。さらに言えば、海外から電話をかけると1分200円も300円もしたけど、今はLineやwhatappでこれも無料だ。
20年前から価格が30%アップした板チョコや缶コーヒー。他方、価格が劇的に下がった電話の通話料。20年前を知っている人にとっては、この価格の推移を頭で理解しているし、実際に経験しているが、たとえば平成生まれの人にとっては、電話はwifi環境があれば無料というのが常識だ。
となると、モノやサービスの値段の受け取られ方というのは、可処分所得によっても異なるし、どれだけそのモノやサービスにこだわりをもっているかによっても異なるし、さらにいつ生まれたかによっても変わってくる。そこまでとらわれ方が変わるもの(値段)を決めるというのは、本当に難しいことだ。
下のグラフは1人当たりGDPの推移を、2000年を1としてこれまで約20年間どういう推移をたどっているかを示したグラフだ(はい、このために作りました)。次回はこのグラフを使って、グローバルな経済発展と価格について考えてみたい。